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ぼくのお勧め本です

2008年4月28日 (月)

日本が中国に捨てられる日

「日本が中国に捨てられる日」
NTVのドキュメンタリー番組のタイトルだ。ちょっとショッキングなタイトルだ。日本企業が中国の農家に日本向け野菜をつくらせて輸入してきたここ十数年の歴史を振りかえりつつ、ここ数年でその構図が変わりはじめ、曲がり角にきているという内容。「食料自給率39%の贅沢」というサブタイトルがついた番組のなかでは、「虫くいひとつでも買ってくれない日本向け野菜はもうつくりたくない」という農家の本音が語られていた。もともと山東省の農家ではコストのかかる農薬は使っていなかったが、形が良く虫食いのないキレイな野菜を好む日本の消費者向けに、日本側から農薬を使うように要求され、栽培方法や野菜の大きさも細かく指定されたのだという。ところが近年、中国の急速な経済発展で、野菜だけでなく食料の国内消費もうなぎ上り、国内向けの野菜も高く売れるようになってきたのだ。
日本の注文は野菜に限らずかなり厳しい要求を中国の生産者に求めてきた。しかしそれは形や見た目の美しさをメインにしたもので、残留農薬の問題はごく最近になって問題になっているに過ぎない。日本の輸入食品に関するチェックは確かにアメリカなどに比べたら格段に厳しいものがあるようだ。それでも毒ギョーザ事件などは起こってしまった。生協が国産の材料に切り替えて試作をしたら、なんとギョウザは10倍近い値段に跳ね上がった。これまでの安い値段に慣らされた消費者のモニターでは、とてもそんな値段のギョウザは変えないという結果。
 食のみならず、労働力など、さまざまなものを海外に依存している、いまのニッポン。毒ギョーザ事件をきっかにやっぱり中国の粗悪品なんか買わないといえている今はいいけれど、やがて金を出しても売ってくれない時代がやってくるのではないかというのは、最前線でバイヤーをやっている人々には現実感をもってかたられている。
いま世界のマグロの8割を食べている日本人だが、中国がマグロの消費を増やしていて、確実に日本の輸入業者は中国とのせめぎ会いになっている。エネルギーに関しても、ロシアの天然ガスパイプラインは、日本への接続は、あとからやってきた中国に先を越されている。
すべのジャンルで中国は日本を出しぬいている。私はナショナリストではないけれど、このままなら中国にすべてをもっていかれるのは時間の問題だ。
日本人は、金を出せばなんでも有り余る資源を消費できると勘違いしているが、もうそんな時代は終わったのだ。そして、なにより中国やアジアの国々の変化に気がついていない。
フィリピンやインドネシアの看護師・介護士を入れることをFTAで合意したものの、その条件が日本語能力があり、大学を卒業し、3年以内に日本の国家試験を合格することなど、かなりハードルの高い条件を出している。実際にフィリピンに介護士研修の実際を視察に行った日本の人材会社の社長が、看護学校で「日本に行きたい人」と問いかけたとき、100人以上いた学生のなかから手が挙がったのはほんの数人、大部分はアメリカ、カナダを希望しているのである。それはそうだ、カナダは3年働けば永住権を得られるし、何より英語が公用語のフィリピンの学生にしてみればアメリカやカナダは言語の壁もない。日本は、いまだにアジア系の外国人に対する、警察や役所の対応をはじめ、きわめて排他的な社会構造をもっているし、それをまた平均的日本人は、「外人が増えると治安が悪くなる」などという流言を平気で信じ、自らも発信したりしているんだから救いようがない。
オリンピックではチベットがらみで、中国人の過剰な反応がメディアをにぎわしているが、好きだとか嫌いだとを別にして、中国とどう付き合い、他のアジア諸国の人々とどう付き合っていくか、そのために日本人がどういうスタンスをとるのかということは、もはや待ったなし、という気がする。
いつまでも、アジアの盟主気取りはできないんだということを、政府も日本人の一人ひとりが考えないと、たぶん置いてけぼりになる。

2007年10月14日 (日)

佐藤真の遺稿

 佐藤真さんの偲ぶ会からしばらくたった。ふと立ち寄った本屋で「現代思想」のドキュメンタリー特集を目にし、巻頭に掲載された佐藤氏の遺稿となった「ドキュメンタリーもフィクションである」を読んだ。タイトルのとおり、ドキュメンタリーといえど、それは作家によって切り取られ編集、再構成されたものであるから、真実を写し取ったものではないということに尽きる。これは、作り手側にとっては自明のことなのに、あえてそれを口をすっぱくしていわなければならないのは何故か。ドキュメンタリーの可能性が、たんにジャーナリズム的な告発やうすっぺらいヒューマニズムだけだったとしたら、なんともつまらないジャンルに墜してしまう。しかし、いつまでたっても一般にドキュメンタリーは、現実をうつしとる報道的側面だけで語られることに対する苛立ちが、上記の意思表明となったのだろうと思う。しかし、そのことは、作品でしか示し得ないことを知りつつ、なお語らねばならなかった。
リンダ・ハッテンドーフの「ミリキタニの猫」は、そんなことを考えるときに、とても面白いテキストだろうと思う。

2005年10月 9日 (日)

比国の医師の海外流出

 FTA(2国間貿易協定)で、日本とフィリピンは、看護士・看護婦の受け入れを表明した。しかし、日本語の習得と日本の国家資格の取得を条件として、受け入れは年間300人程度という条件がついている。比国の希望はその10倍くらいの受け入れを求めているため、両国の目論見は大きく隔たっているようだ。先日の朝日新聞には、比国の医師や看護士が、アメリカなどの外国に出稼ぎに出て、国内の医療現場が人不足で深刻な事態が生じ問題になっているという記事が出た。たしかに、国立病院の医師でも月収40000円というから、当然賃金の高いアメリカや中東などに出ていくのもいたしかたない部分がある。出稼ぎ大国の比国にとっては、出稼ぎ者の収入が国の経済を支えている部分もあり、海外での出稼ぎを支援する政府と、医療現場との見解はすれ違っている。昨年から日本での比国の芸能人ビザの入国を厳しき制限している日本政府は、一方で看護士・介護士の受け入れに小さな窓を開いたわけだが、なんとも皮肉な事態だ。医師や看護士の海外流出をくいとめ、比国の医療現場を守るには、当然彼らの賃金や待遇を上げなければならない。比国にとって最大の輸出は人材だという現状を変えなければ、この流出はくい止められないだろう。

2005年10月 2日 (日)

人口減少と外国人労働者

国勢調査が行われている。今回の国勢調査は、日本の人口が初めて減少に転じる、転換期の調査になるだろうという。少子高齢化という時代を本格的に迎えることになることを調査結果は示すだろう。少子化対策でヨーロッパなどの実践をみると、育児・出産のための行政的なサポートとともに、本格的な移民を受け入れるなど、長い年月をかけての対策をとっている。翻って日本のありようを考えると、女性が出産・育児を経ながら働き続ける環境にはまだまだという感じだ。私は海外ロングステイを推進する立場だが、一方では、外国人の受け入れをもっと進めるべきだという考えだ。入国・在留資格の垣根をゆるめ、外国人労働者が正当に働ける環境をつくり、21世紀型の活力ある社会、グローバル化をはかるべきだと思う。
 とまあ、公式的な発言はともかく、外国人が巷にあふれる状況を快く思わない人が少なくないということも事実だろう。現実には、さまざまな外国人労働者が、私たちの身の回りにいる。不法残留・不法滞在・不法就労とという言葉が示すように、日本に滞在し働くためには、それなりのビザ、滞在資格が必要となる。現在、そうした不法滞在・不法就労を一掃しようと当局はやっきになている。しかし、さまざまな分野で外国人労働者を受け入れていかなければならない切実な状況も一方にあるのも事実。滞在資格を単純労働にもあてはめ、不法でなく正式な滞在資格としなければ、「不法」はなくならない。むしろ、それらを「不法」のままにすることが、人身売買などの温床になってしまっているのだ。もちろん、国内の雇用を外国人に奪われてしまうという危機感はわかる。単純ではない。そのへんはゆっくりと考えていきたい。